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2021年10月1日 宮大マガジン掲載記事
2021年10月より、学長に就任した鮫島浩学長は、2021年9月末まで病院長を務めるとともに、本県の周産期母子医療体制の充実に大きく貢献してきた実績を持ちます。本特集では、鮫島学長の学生時代の経験などに触れながら人物像を紹介し、これからどのような大学運営をしていくのか、そのビジョンに迫っていきたいと思います。
3人兄弟の末っ子で、兄、姉の影響もあって鹿児島県立鶴丸高校に入学しました。高校時代は物理学者になろうと思っていました。数学や物理が面白くて、宇宙物理を研究したかったんです。高校はゆったりした校風で、バスケットポール部の練習に明け暮れていました。ポジションはガード。主将を務めてインターハイにも出場しました。バスケットボールは、鹿児島大学医学部に進学してからも続け、同級生メンバーで遊び、時々勉強という日々でした。医学部の伝統として言われていたのは「最初の2年間に遊び尽くすこと」。部活に飲み会にダンスパーティー、楽しいことしか覚えていませんね。
受験を前に最終的に医学部を選んだのは、「人のためになる」と思ったからです。鶴丸高校の校是は「For Others (人のために尽くせ)」。これは今も、私の人生の行動指針になっていると思います。
専門については非常に悩みました。鹿児島市立病院に研修に入っているときのことです。市立病院は私が高校時代に五つ子誕生で話題になったところで、とても印象に残っていました。その責任者でもあった私の恩師と飲んでいるときに、どうやら「産婦人科に行く」と宣言したらしいんです。「五つ子出産の主治医を務めた池ノ上先生(宮崎大学前学長)にも学べるから」と勧められて。池ノ上先生は、当時アメリカに留学中で、帰国してからの出逢いとなりました。
約3年間、アメリカに留学することができました。そこでは子宮内の胎児の生理学を研究しました。我々大人は低酸素になると心臓がバクバクして息が激しくなリます。赤ちゃんは逆で、心臓は徐脈となり、呼吸を止めるんです。生まれて2日ぐらい経つと大人と同じようになります。これは話し出すと長くなりますが、興味深いでしょう。留学中の研究や学外活動はすべて楽しく、そのときの人間関係は今も続いています。子どもを2人授かったことも留学時代の宝です。
地域に根ざして必死にがんばっている大学であると感じています。長年経験してきた医学部や附属病院の観点で言うと、県医師会や県と非常にいい連携を保っています。人と人とのつながリ、学術的にも行政的にもいいつながりを持って、宮崎県に若い医師を残そうということも含め、一丸となって進めていることがよく分かります。木花キャンパスにある4つの学部については、特に、農学部・工学部・教育学部の3学部は歴史が長く、地域に根ざした教育・研究が行われていると思います。地域資源創成学部は、設置から5年と歴史は浅いですが、県内の地域社会や地方自治体との連携を密にした特色ある教育プログラムのもとで、将来の地域を支える人材を育成していると思います。どこが輝いていて、どこをもっと伸ばさないといけないかは、新しい執行部メンバーなどと協議を重ねながら検討していくつもりです。
常に考えているのは、宮崎大学が国立大学として宮崎にある意味です。いかに地元と密着しているか、地元に貢献しているか。常にそういう観点で地域目線、地域の人たちからの目線を重要視していく必要があると考えています。地域にとっても大学にとっても、まず学生、卒業生の「宮崎大学LOVE」という気持ちを強くしていきたい。そうなれば宮崎への貢献も自然と大きくなるでしょう。
人、人材こそが宝です。いかにいい人材を地域に残せるかを真剣に考えなくてはいけません。基礎的な教育はどこであっても同じです。宮崎の中で日本の最高学府としての教育が受けられます。世界とつながる研究も行われています。「どこの大学に行きたい?」と聞かれたら「宮崎大学」と答える子どもたちを増やしたい。実現できると自信を持っています。そのために、もっと広報戦略を強化していく必要はあると思っています。
学長としては、みんなついてこいというスーパーマン的な学長ではなく、組織をつくって、その組織の中で光り輝くものをみんなで見つけ出し、伸ばしていくことをイメージしています。自分たちの持つている資源の中で、何がいい、何がよくない、何が育ちそうだ、どうするのかということをとりまとめていきたいと思います。
大学内のコミュニテイをもっと活性化させたいと考えています。例えば、いろいろな学部の学生が集まってコミュニティができる、教員みんなで話し合える場があること。また、宮崎大学の学生であれば好きな時間を使って、どの学部の講義も聞くことができるというのも必要かもしれません。異分野融合は強く進めていきたいですね。外部から優秀な人を連れてくるのも改革の―つだと思っています。よく変革のためには、「よそ者・若者・馬鹿者」が必要と言います。新陳代謝を高めるような外からの刺激を受けながら、中にいる人の想いもピックアップし、吸い上げる場もつくっていきたいと思います。
新型コロナウイルス自体は、徐々に落ちついてくると思います。問題は新興感染症が起こったとき、何らかの問題が起こったときに国全体、県全体で対応するシステムが非常に脆弱であったことです。危機への対応を直接見てきた若者たちが一番、今後重要な力になってくると思います。これからワクチンを開発したいという人、危機対策を担うために行政を目指す人もいるかもしれない。危機に対する考え方がぷれてしまっている日本で、これからの社会をつくる次の世代と一緒に取り組んでいかなくてはいけないと考えています。
一番大切にしてほしいのは自分が何をしたいかということ。見つからない人もたくさんいると思います。そのときは、「人のために何ができるか」という視点が大切だと思います。自分の持っている特技、得意なことを介して人のために何ができるか。それが人の幸福になって、自分の幸福にもつながっていくのだと思います。
自分の思い描いたとおりの人生を歩く人は一人もいないでしょう。大部分は自分の夢がありながら、現実もある。けれども現実が夢と離れているから不幸になるのだとすれば、それは現実への取り組み方がシャープではないのだと思うのです。どの仕事でも楽しみもあるし、苦しみもある。私は医師になりましたが、自分で考える医療を完璧に成し得たわけではありません。振り返れば、目の前にいる患者さんを助けていく、目の前にある仕事をこなしながら、これが人のためになっているということが多いような気がしています。運命の流れにある程度任せても、人生は幸せである。どんなチャレンジもできる、夢をかなえるワンステップである宮崎大学という場で、自信を持って思う存分楽しんでほしいと思います。
宮崎大学 学長 鮫島 浩(さめしま ひろし)鹿児島市出身。1981年に鹿児島大学医学部を卒業、'83年米国カルフォルニア州のLoma Linda大学に留学。'95年宮崎大学(現宮崎大学医学部)産婦人科に入職し、全県下の周産期医療体制構築に邁進した。2016年、宮崎大学附属病院病院長に就任。
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