お知らせ・広報
2022年2月7日掲載
大学職員(研究国際部産学・地域連携課 地域連携係長)
1982年生まれ、福岡県出身 立命館大学理工学部卒業後、民間企業等での勤務経験を経て、2008年に都城工業高等専門学校職員(採用は宮崎大学。高専へは出向)として採用される。 その後、宮崎大学企画総務部総務課、学生支援部教育支援課、情報基盤センター事務システム係を歴任して、2019年11月から2021年2月まで、第61次南極地域観測越冬隊に参加。 2021年2月に大学に復帰し、2021年4月から産学・地域連携課 地域連携係長として大学と県内自治体との連携事業、高大連携事業のコーディネート、地域住民を主な対象とした公開講座の運営などをメインに担当している。 自他共に認めるマイペース。趣味はツーリングで、暇さえあればバイクにテントを積み全国各地を巡る。すでに47都道府県すべて制覇済み。最近は離島へのツーリングにはまっている。好きな動物は犬。
南極観測越冬隊(観測隊)は、様々な機関に在籍する研究者やスタッフが公募で集められ、約30人のグループとなり一年に一度派遣されます。 日本の南極観測は、1957年に昭和基地が設置されてから現在に至るまでの60年以上におよぶ国家事業で、観測隊員は国立極地研究所の職員という身分で派遣されます。その観測は、実に様々な研究がされていて、地球の気候変動の解明などに活かされていることなどを知ったことが、自分もこの事業に関わりたいと思ったきっかけです。
一年に一度、全国各地の国立大学法人や研究所などに観測隊の募集があります。 初めて知ったときは、「南極に行くことができるのか!なんとなく面白そう」と簡単に考えていましたが、南極観測についていろいろと調べていくうちに、その奥深さに魅了され、「とりあえずチャレンジしてみよう」との思いで、上司の許可を得て「庶務・情報発信隊員」という職種に応募してみました。すると、まさかの合格通知が。そこから私の南極への道が開けました。
写真:昭和基地付近に現れたペンギンの群れと一緒に
隊員には、観測だけではなく設営(基地の維持管理をする人たち)など、様々な役割を持っている人たちがいて、なかには、国立系の機関などに在籍していなくても一般に公募されている隊員もあります。有名なものでは南極料理人ですね。 もちろん、観測隊なので観測をしている人たちもいます。他にも、基地の維持管理やスタッフの健康管理などに務めている人がいて、例えば、お医者さん、ネットワークを管理している人や建物・発電機・車両等を管理する人など様々な職種の職員が南極での生活を支えています。 割合としては観測4:設営6で、基地の維持管理やみんなの生活を支える隊員が実際に観測を行っている隊員より多いです。
※一般公募の隊員は、国立極地研究所のホームページで募集されていて、国立極地研究所のホームページからどなたでも見ることができます。https://www.nipr.ac.jp/
日本(成田)からオーストラリアの西海岸にあるパースまでは飛行機で行き、その先は、フリーマントルという港町から海上自衛隊の「しらせ」という南極観測船で南極昭和基地に向かいます。 途中、海上でも様々な観測を行いながらの航行となるため、昭和基地へは片道一か月ぐらいかかります。
私は、庶務・情報発信という担当で、主に隊全体の運営調整や事務作業等を行いながら、ブログ等や取材対応、日本の小中学校と中継をつないで授業を行うなど情報発信業務をしていました。 ただ、限られた人数で、基地の維持管理や観測を行うので、それぞれ担当の業務はありましたが、みんなそれぞれの業務を手伝いながら協力してこなしていました。
写真:職務中の吉井さん(昭和基地にて)
ごはんは日本とほとんど変わりません。調理隊員が一日3食作ってくれるので、日本にいる時よりもおいしいご飯を食べられていたと思います。 ただ、徐々に生ものや生野菜等が食べられなくなってきます。次の隊が昭和基地に到着した時は、届けられた納豆や生卵やキャベツなどがごちそうでした。
写真:夕食(金曜日はカレーの日)
ならなかったですね(笑)。一緒に越冬した隊員は徐々に家族のようになってきます。それに、毎日何かしら仕事があってあわただしかったですし、お休みも昭和基地には過去の隊員が残してくれたゲームやDVD等もあったので毎日楽しかったです。
写真:当時の吉井さんの部屋(左:ベッド、右:机)
南極では、一日のうちに一度も太陽が沈まない白夜があります。その時期は、睡眠時間をしっかり確保し、生活サイクルを乱さないように、遮光カーテンを閉め切って寝ます。簡単なように思えますが、慣れるまではなかなか大変です。 そして、もっと大変なのが白夜の反対の極夜です。つまり、一日のうちに一度も太陽が上がらないということです。これは、白夜よりも大変で、どうしても生活サイクルが崩れてしまいがちになります。わずか数日であればいいのですが、5月下旬から約2ヶ月間太陽が昇りません。いかに、太陽の光が人間にとって大切なのか、身をもって体感することができました。 また、その間は外での作業が限定されるので、夏至のタイミングでミッドウィンター祭が行われ、クイズ大会やカラオケ大会があって、コース料理も並び、まるで学園祭のようでした。ちょうどその時に、大きなオーロラが出て、仲間とお酒を飲みながらオーロラを眺めたことは一生の思い出です。 ちなみに、南極に渡って初めてオーロラが出たときは、みんなカメラを持って興奮しながら撮影しますが、一ヶ月もすれば、オーロラが出現することが日常になってしまい、誰もオーロラに興味を示さないようになります。笑
写真:オーロラと天の川(昭和基地にて撮影)
南極観測隊越冬隊としての一年弱の経験は本当に貴重だったと思っています。このような機会を与えてくれた宮崎大学の関係者の皆さんには心より感謝しています。この一年間で、自分自身が何か変わったかと聞かれると、特に変わったことは無いと思います。 日本に帰ってきて一番びっくりしたのは、みんながマスクをしていることです。コロナウィルス感染症が拡大したのは自分が日本を発った後なので噂には聞いていましたが、コロナウィルスがこんなにも日常に影響を与えているとは思っていませんでした。今ではマスク生活にも慣れましたが、日々感染拡大状況への対応に追われており、一日でも早く収束してくれることを願っています。 私自身も、南極展を企画したり、高校で南極のお話しをする出前講義をしたりと、微力ではありますが、社会に還元する取組を実施しています。今後もこのような活動を継続しながら、宮崎大学にも貢献していければと考えています。 南極観測に限らず、いつどこにどんなチャンスが潜んでいるかわかりません。常にアンテナを張って、いろいろと挑戦してもらえたらと思います。
写真:産学・地域連携センター屋上にて(海も見えます)
■九州地区 国立大学法人等職員採用試験事務室 ホームページ:https://www-shiken.jimu.kyushu-u.ac.jp/
■産学・地域連携センター ホームページ:https://www.miyazaki-u.ac.jp/crcweb/
写真:吉井さんが基地の前で撮影した野生のコウテイペンギン
写真:南極の氷床上に並ぶ雪上車
写真:ウェッデルアザラシの赤ちゃんとその母親
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